歴史の香り(横手)

江戸時代のはじめ、幕府の中心で活躍していた宇都宮城主、本多上野介正純公(徳川家康の側近だった本多正信公の息子)が、二代将軍秀忠の暗殺を企て、幕府の転覆をはかったというかどで横手に幽閉されていたそうです。このきっかけは宇都宮城釣り天井事件というものだそうです。日光に行った将軍秀忠公を宇都宮城に招き、釣り天井を落として事故死に見せかけて暗殺するというものだったらしいのですが、実際そんな仕掛けはなかったのだとか・・・

誰かの讒言にあって、権力闘争にやぶれたのではないかということらしい、全くそこらは今も昔も変わらないような気がします。

私は諸田玲子さんの書く時代小説が大好きなのですが、この前、本多正純公の妻だったお梅の方を主人公にした「梅もどき」という小説を読んで、おとなりの横手が出てきたので、4月24日に本多正純公の墓碑に行ってみました。

「 陽だまりを恋しと想ううめもどき  日陰の紅を見る人もなく 」

という歌を正純公が詠んだとされ、不遇な晩年を過ごしたことが想像できます。

一緒に配流された息子にも先立たれ、雪深いこの地で73歳で亡くなった正純公の無念さと孤独はどんなものだったのでしょうか・・・

今でこそ、たくさんの大型店があり賑わっている街だけど、江戸時代初めの横手はどんな感じだったのでしょう?

ひっそりと、高台にある墓碑は、そんな歴史の移り変わりを想像させてくれます。

向かって右が正純公の墓碑で左が息子の出羽守正勝公の墓碑だそうです。墓碑の手前にある桜は満開でしたが、静かなひっそりとしたところでした。

帰りには、道すがら旧日新館という、秋田県内では今はひとつしかない明治時代の洋風建築の建物を見学してきました。秋田県の有形文化財になっていますが、個人の所有で今もお住まいの方がいらっしゃいます。

一階は一部屋、二階はすべて公開になっています。

もともとは、旧制横手中学(今の横手高校)に赴任したアメリカ人の英語教師のために建てられた洋館で、明治35年から昭和30年まで6人のアメリカ人が居住していたそうです。

当時の生活を思わせる室内

二階はとても明るくて、窓からまわりの桜と横手の街がよく見えます

下の写真の真ん中に写っている外国人の男性は、昭和30年まで住んでいたマルチン・スマイザーさんという方のようです。

大正3年に来日し、英語教師をしたあとは、宣教師として活動し、戦後の米軍進駐時には、市民の庇護者として行動されたとのこと。

洋館の玄関の前には、素朴な春の山野草がたくさん花をつけていました。

身近にも、歴史の香りを感じさせる場所は、知らないだけでいろいろあるんですね。